第71話   釣の聖人「太公望呂尚」   平成15年12月28日  

わが国の釣は海彦、山彦の話に始りついで浦の嶋子(通称浦島太郎)であろう。しかし、それ以前お隣の中国では太公望呂尚が居た。こちらの方は言伝えや伝説ではなく実在の人物である。

太公望呂尚は中国古代西周の文王に見出され、武王と共に殷を滅ぼし周に至る基を作った人物としても知られる。姓は呂、諱を尚と云い、字を子牙(しが)、号を飛熊(ひゆう)と云う。本家は姜(キョウ)氏で周(姫氏)と同じ異民族の血が入っている人物と考えられる。伝説では南極老君に教えを受けた道士であったとするが、地理天文、軍法に精通した中々の人物であったらしい。

窮貧の時代に渭水のほとりで直針(スグバリ)を持って毎日釣りをしていた。妻は夫を見て釣れる訳も無い直針で毎日釣りをしている夫を見て愛想を尽かした。「自分が80歳になれば必ずや世に出てお前を楽にしてやるから時節を待て!!直針で釣れる魚は天命の尽きた魚である。西北の方に奇瑞の雲があるからこの3年の内に迎えがあろう」と諭すも出て行ってしまう。其の頃西周の文王の夢の中で熊(飛熊)が東南の方より飛び入り、王の傍らに侍べる家来たちが拝伏すると云う事があつた。やがて夢博士の判断によって東南の方を探しに探して渭水のほとりで呂尚と出会う事となる。これも伝説ではあろうが良く出来た物である。そして周の先代がこのような人物が出てくるのを待ち焦がれていたとして太公望と呼ばれたと云う。後に其の巧大なりとして、後にに封じられ一国の太守となる。

釣れぬ釣り針で釣りをして一国を釣ってしまった人物としての太公望を、後世に釣り人の代名詞ともなっている。最近では余り使われなくなってきているようだが、これが太公望の語源である。

余談であるが、普通考えると釣れる訳も無い直針でも、ちゃんと魚は釣れていたのである。昔の本でうろ覚えなのだが、直針の真ん中に糸を縛っておき、ミミズを縫って川に垂らすとうなぎが食いつく。引き上げると針が垂直となり針が胴から顔を出すという仕掛けで、うなぎを弱らせないで釣り上げたていたらしい。にわかには信じられない話であるが、昔の仕掛け集にちゃんと書いてある。